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李承信の講演 - <私たちにとって日本とは>

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  • 2025.08.18 14:18
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‘私たちにとって日本とは’ 


 

大学卒業後、ワシントンで20余年間勉強と仕事をしてきたアメリカ通の私が、どうして日本通にまでなったのか、考えてみれば不思議なことです。

 

韓国で、そしてアメリカで日本に対する関心はありませんでした。

アメリカでは私をみると皆 ‘Are you Japanese? ’と尋ねてくるので、機嫌が悪くなりすぐに‘わたしは Korean’と答えたものです。コリアの存在感はなく、日本は順風満帆の時代です。

 

TV 放送ジャーナリズムについて学び、ワシントンの‘Voice of America’や放送局で仕事をし、ニューヨークとワシントンの新聞にコラムを載せていました。

 

すると、韓国政府から「TV放送によって国家をUpgradeしよう」と何年も執拗な誘いがあり、根負けして帰国し、韓国放送委員会、サムスン顧問等をしながら、企画制作もし、放送関連国際会議等も催す等、さまざまな仕事をしましたが、なかでもドイツ統一は東西ドイツ国民のTV視聴の力に与かるところが大きかったということが特に印象的でした。

 

帰国してすぐに隣国である日本のことが気になりはじめ、葛藤、矛盾、争い、報復で彩られた日韓関係を数多く目にすることになりました。

反日デモがあり、ともすれば首脳会談も開かれず、心配になりました。

 

1998年、金大中元大統領が日本に行けば天皇陛下に会うと言いました。当時瓦臺に知り合いはいませんでしたが、訪ねて行って局長クラスとの面談を求めると、局長が出てきました。

そこで、大統領が日本で天皇に会うというが、最近母である歌人の孫戸妍が短歌の大家として天皇から招請されたことがあり、互いに面識もあり、天皇自身が歌人として短歌にも関心を持っているので、文化視察として大統領に同行すればお役に立てると意見しましたが、断られました。

 

その後、2005年が‘日韓友好の年’と宣布され、当時の武鉉大統領と日本の森首相が大々的な行事を催し、二人のスピーチを聞きました。当時は武鉉大統領をそれほど高く評価していませんでしたが、期待以上のすばらしい演説をしたのに対し、期待していた森首相は原稿を見ながら読み上げるだけでした。

 

お二人が降壇するや私は名刺を差し上げましたが、森首相とその側近は名刺の裏にある短歌をみて、感激したように胸に手をあてました。こんな短歌でした。

 

隣いて胸にも近き国なれと

無窮花を愛でてさくらも愛でて

 

たくさんの催しが予定されていましたが、島根県が‘竹島の日’を制定すると、それからずっと全国的なデモがおき、キャンセルされてしまいました。

 

その年620日に小泉首相と武鉉大統領の日韓首脳会談が予定されており、その場が‘平和の精神’を確かめ合う場になることを願った私は、武鉉大統領と潘基文外交長官、金雨植秘書室長に、日本を感動させその心を動かすためには‘文化外交’をしなければならないと何度も強調しましたが、理解されませんでした。大統領付の三人のスピーチライターにも何時間も説得しましたが、埒が明きませんでした。 

 

政治は言語であり、気と気の争いなので、指導者のスピーチはこの瞬間に重要なものでした。20年前、韓国は国土面積や人口、経済力、科学技術、国力、魅力そのいずれにおいても後れをとっており、国の品格を高めなければと常日頃思ってましたが、まだ遠い道のりのようでした。ところが、青瓦臺での首脳会談の日、文化外交の実践をあきらめていた私のもとに、突然日本の特派員から電話で「すぐにKBSを見てください。緑地園で小泉首相が演説の中で孫戸妍の短歌を詠んで、平和精神について語っています」と言うのです。

 

潘基文長官からも電話があり、「李先生の言っていたことがようやく理解できた」と言い、その後外交部の中に私が初めて唱えた‘文化外交局’がつくられました。後で聞いたところによると、小泉首相はその日、孫戸妍歌人について三度も言及したそうです。小泉首相には手紙をつけず本だけを送っていました。演説で言及した短歌も私が選んだわけではありません。

 

これは過去30年間、日韓関係のために私がしてきたさまざまなことの一つにすぎません。日本に行くようになってから、日本のいくつかの特徴のひとつとして、彼らが“心”を重視するということを知ったからです。

 

国というものが別個にあるわけではなく、個人ひとりひとりが国そのものなのだと思います。相手国をうまく扱いたいのなら、個人に対してそうであるように相手の心を理解し、寄り添うべきだと思います。

 

韓国が1400年前の歴史を学んでいないように、日本も日韓関係の歴史について知らずにいます。6世紀に朝鮮半島から仏教が伝えられたことを、日本人は有難く思っているといいます。日本人が‘心を重視’するのも仏教の影響ではないかと思います。

 

朝鮮半島の北方は気候が寒く、2300年前の青銅器時代に人々が南方の日本(九州)に移住して稲作を始めたと言われています。その後新羅や伽耶からも人々が日本に移住した歴史があります。それとは比較にならないスケールで660年には、文明が隆盛していた百済が唐と新羅の連合軍に敗れ、王族はもちろん貴族や学者、知識人、職人たちが日本の飛鳥や奈良に亡命しました。

 

百済は当時たいへん優れた文化文明をもった国で、それがそっくりそのまま日本に受け継がれることになります。飛鳥、奈良、大阪には百済という漢字がついた地域、通り、橋、学校、施設が多くあります。遺伝子検査をしてみると日韓では75%DNAが同じだという話もあります。

 

数十年間の葛藤を越えて、2年前徴用工問題を譲歩することで日韓関係が前進し、ワシントンで米日韓の協力体制が築かれました。唯一の分断国家として北朝鮮に対峙する韓国にとって必須の体制です。外交政策には一貫性が必要だという現大統領の言葉に希望をかけてみます。

 

日本の首相は(韓国大統領が)弾劾されるや、「日韓関係は日本の独立と安定のため、東アジアの平和のため最も重要な最優先課題」と声名を発表しました。

それは血縁的にも心情的にも地政学的にも近く、自由民主主義と市場経済という同じ価値をもった国として韓国が口にすべき言葉でもあります。

 

韓国の文化コンテンツが人気なのはそのとおりですが、アメリカと西欧が考える日本は魅力的で文化面の評価も依然として高いです。

 

国益のためにどの政権であれ経済、技術、科学の面で日本と積極的に協力しなければならないのは、そうしなければ日韓米の連帯が強固なものにならないからです。

 

東日本大震災のとき、日韓両国で出た私の2冊の詩集が大きな話題となり、日本のいくつかの都市でスピーチをすると感動したと言ってくれるので、日本のことについて勉強したことがないことが良心の呵責となり、何年か前に京都の同志社大学で勉強しました。

 

私が韓国やアメリカで通った大学と同様に同志社大学はクリスチャン大学で、150年の歴史があり、世界各国からきた数多くの優秀な卒業生を輩出しています。そこには韓国の尹東柱、鄭芝溶という二人の詩人の詩碑が立てられていて驚くと同時に誇り高くもありました。日本語でなされる20科目もの講義にパスしなければならず、あまりに難しいので二人の韓国詩人を心の支えとして夜を徹して勉強しました。言語というものは、やはり幼くして学ぶべきものであることを悟りました。

 

韓国もドイツとフランスのように‘アーヘン条約’をつくり、両国首脳会談や高官たちの集まりを促すことはもちろん、幼いときから隣国の言語を学び合い、交流してともに先進国として成長していくことが必要なときです。

 

狭くなった世界、31世紀、41世紀にも日本は韓国の後裔たちがともに生きねばならない隣国であることを心に刻まなければなりません。

 

平和

辛い歴史をすべて忘れられないとしても

心の澱を降ろし 

成熟した平和を祈る

 

 

 

最近の講演から  –  ソウル 2025 6 20

 

 

 

 

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